通常のスーツスタイルでは、ネクタイがVゾーンの中心にあり、全体を引き締める役割を果しています。シャツもネクタイをすることを前提に作られていますから、普通のシャツでノーネクタイにするとどことなく問が抜けた印象になってしまいます。多くの方のクールビズが「クール」でないのはここに大きな原因があります。クールビズでは、シャツは主役級に目立つアイテムになるわけですから、襟がしつかり立つ立体感のあるものを選びましょう。具体的に襟が立つシャツというのは、ボタンダウンやスナップダウンなど、襟先を留めるタイプのシャツです。また、襟の高さが通常のシャツより高い「ドゥエーボットーニ」のシャツや、ネクタイなしで着ることを前提に作られた「ワンピースカラー」を選ぶのも良いでしょう。また、ジャケットなしで着ることを考えれば、シャツはジャストサイズを選ぶのが大前提です。大きすぎるとだらしなく、小さすぎると暑苫しい印象になります。また、素材や縫製も目立ちますから、いつもより少し上質なものを選んでみてはいかがでしょうか。なんといっても「主役」なのですから。
毎年のことだけれど、春になると柔らかできれいな色を着たいと思う。春とは名ばかりの寒い日でも、そんな色をどこかに持ってくると足元が軽やか、動作が活発になる。きれいな色、というのは無神経に着ると没個性になる。着る人と色が一体化していない。大抵の場合、色がずい分悲惨な目にあっているようだ。そういう着こなしのきれいな色はあってないようなもの、視線に留まらないのだ。あんなにドキドキするような美しい色なのに不思議です。そういうことを回避するためにも神経を使って着たい柔らかできれいな色。一番、注意したい点は何といっても色の組み合わせ。合わせる色が無神経だとお互いの色を殺してしまう。「○子ちゃんたらね、信じられないのよ、ピンクのセーターにグリーンのスカートなのよ。一緒に歩くの恥ずかしいよ」小さいころから口を酸っぱくして、服の色合わせを娘に教えたせいか、他人にも厳しいのが困りものです。「それは狙いかもしれないじゃない。キッチュというのよ、そういうの」キッチュなどという言葉は古いかもしれないが、他人に優しい娘になれよ、と私は言い訳を考える。実際にそういう着こなしもあるのだけど、私たちの年齢ではそれは許されない。ただの無神経になってしまう。ピンクならグレー、黒、茶といったところが無難に思える。
現代スーツにおいて、ネクタイは純然たる装飾物である。ラウンジ・スーツ誕生以前のシャツはタイで襟を留める必要があったので、いくら過剰な演出がなされようとも、一応、タイは実質的機能を果たしていたのである。しかし、ラウンジ以降の結び下げネクタイは、合理主義的な見方に立てば、装飾ないし象徴として以外の働きをもたない。もちろん、象徴というのも非常に大切な機能ではある。さらに、伝統尊重こそスーツの命であるからして、首回りの装飾という長い伝統をいまさら放棄するわけにはいくまい。しかし、現代において、ネクタイ着用が、苦痛であるにもかかわらず炎天下でも続けられている慣習なのだとしたら、歴史を尊重することにはあまり興味がなさそうな男性たちがネクタイを重視する理由は、同じ制度のなかで生きる者同士であるという共感を、苦痛と辛抱によって感じあうため、である。平たくいえば、「ああ、キミの辛抱、よくわかる。オレも同じ苦しい思いをしているものねえ。これだけのがまんをして涼しい顔しているキミを、オレは尊敬するし、親しみも感じる。キミとオレは、同志だ!」つていうところだろうか。だからこそ、目下の者が自分よりカジュアルな格好をしてくると、ネクタイをきっちりしめた上司は思わず「おまえは何様のつもりだ!」とどなってしまうのである。トップが率先しておこなう衣服改革に、下々がぐずぐずしてついてこられないのも、まさしく同じ理由によると考えられる。「何様」になるのはいちばん最後でいい、とみんなが遠慮しあっているのであろう。
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