アメリカの貿易赤字の改善が遅々として進まなかったことから、ドルの信認が遂に揺らぎだしたのです。ニューヨーク株式の暴落を引き金として、小康状態にあったドルは再び下降し始め、88年に入ってからは120円台半ばと、85年秋のプラザ合意の時から比べると、対円レートは半分の水準まで下落しました。一時は、ドル暴落によって、1929年の大恐慌再来かと懸念されました。しかし幸いにも、この時、日・独の金融当局が全面的に、強力なドル防衛の協調体制をとったことから、最悪の事態は避けられました。こうした状況の下で、レーガン政権も議会も、双子の赤字の重大さをようやく認識し始めます。財政赤字の削減を目指して、85年に“均衡財政・緊急赤字管理法”が超党派で提出されます。ところがこの法案が憲法に反するといったような問題も生じ、結局“財政均衡法”の修正案が可決されたのは、87年末でした。この法案の審議難航も、“ブラック・マンデー”のひとつの引き金でした。しかしとにもかくにも財政均衡法が成立し、また87年後半から輸出の回復を軸に貿易不均衡の改善傾向が現われてきたことから、88年以降ドル不安は一応沈静化しました。
バブルの崩壊には不況という副作用もありましたが、日本経済のあり方をじっくり考える機会になりました。財界人は、マネーゲームや薄利多売に懲りて「共生」の時代を待望していますが、飯田経夫・国際日本文化研究センター教授は「共生は経済学の用語ではカルテルだ」と切り捨てています。新しい製品の開発がライフスタイルを変え、世の中を変えていくというのに、企業が競争を手加減するようでは、「日本経済は中途半端に成熟している」と新種の談合ムードを戒めています。叶芳和・国民経済研究協会理事長は、人手不足が日本経済を転換させ、「人間を尊重する経済」が到来すると予想しています。「人間を尊重しない企業は、従業員を根こそぎ引き抜かれる危険も出てくる」ので、会社の組織・機構も大きく変わらざるを得なくなるというのが、叶理事長の読みです。機械に置き換えられる仕事はロボットにまかせ、人間はもっと高度で知的な仕事をするような時代になれば、日本の労働生産性もぐんと高まるはずです。
企業の海外移転のメリットに貿易摩擦の回避がある。日本製品の多くは、品質がよくたくさん売れる。だが、売れすぎて日本だけが突出した貿易黒字を計上すると、他国から非難されることになる。そこで、輸出相手国に工場を設けることにより、現地の雇用に貢献して、批判の声をやわらげようというわけだ。たとえば、日本の自動車メーカーがアメリカやヨーロッパなどに工場をつくるのが典型例である。アメリカやヨーロッパの人件費はけっして安いわけではないから、この場合、コスト削減は期待できない。しかし、現地で生産した日本車をそのまま現地のマーケットで販売すれば批判も少なくなる。もっとも、海外展開はメリットばかりではない。生産拠点の海外移転が国内産業の空洞化を促進するという意見もある。2005年度、日本企業が海外で雇用した従業者数は約440万人にのぼるが、これはすなわち、日本国内での440万人分の雇用が失われたことになる。また、生産拠点の海外移転により、技術ノウハウまで流出し、ハイテク分野などで大きな損失を招くといった指摘もされている。このようなデメリットを考慮した結果、一部では国内回帰の動きも出てきている。
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